切なさの達人『乙一』

乙一の文章を考える。
彼の文章は読後に非常に切なくなる。なぜか。
それが、彼の書く文章のリズムだからなのだが、そのリズムというのは何によって構成されているのか。
まず考えられるのが、文体だ。文章をテキストに打ち込んでスクリプトで語尾を「〜だ、である」から他のものに変えてみた。
結果、たとえ少々不自然な文体であったとしても、それが文章の流れに大きな影響を与えることは無いようだ。
プロットか。そうでもない。プロットだけ考えてみると、calling you なんかは面白そうな話ではあるが切ない話ではない。
本当のプロは、プロットでも、文体でもない第三のポイントで切なくさせるのである。
文学最切なさ理論である。ちなみに、ここの一説の元ネタはイニシャルDの高橋(兄)である。
その第三のポイントとは何か。「それ」には今現在、それを表す言葉というものが存在しないものだとおもう。
それははっきりと、ここの部分だと形に出すのが難しい程度に文節のあちこちに広がっていつつも、一文章単位で、心のツボを刺激してくる。
ただし、その文章は単独で存在してもそれだけの力は持たないハズだ。
つまり、刺激すべき心のツボを自ら作って、そこを突く文章。これが、ある程度の正体だろう。
だが、その程度ならばドラマの感動的に人が死ぬ理論や、KanonAirの好きにさせてから殺す落差理論で説明がついてしまう。
しかし、乙一はそれを短編で、万人に切なくさせる方法でやってのけている。
まだまだ彼の文章の謎は解けない。
これからの課題
・好きにさせてから殺す理論の再考
・切なさのツボ。その核の抽出
・好きにさせる方法論