MMORPGについて考える

ラグナロクオンライン型ゲームが悪の元凶。いや別にそれらが最初からそう意識してやっていたわけでは無いだろうけれど、このゲームのシステム――まさにユーザを相手として動く仕組みとしてのシステムだ――は、従来のゲームから考えると異質のものだったのだと思う。
これはオンラインで多くの人と関わりを持つことを強制されられるMMORPGという仕組みにも大きく影響されたものなのだろうが、同時期に存在していたウルティマオンラインが別の方向性の開発をしていたことを考えれば、やはりこれらは異質な方向性を持ったゲームだったと言える。


オフラインゲームは人を楽しませるゲームこそが利益を得られるゲームであり、それはユーザにとっても開発者にとっても幸せなことだった。しかし多人数が参加するMMORPGではそれが違ったのだ。世界だけを用意してそこに住むことを楽しむというゲーム性を提供するウルティマオンラインよりも、努力した結果を直接レベルやアイテムという形で他人に自慢できるラグナロクオンラインの方が人を集めて利益を生み出すという意味で優れていたのだ。
ここで大きな転換が起きた。
企業が、ユーザを他人と競わせる要素の方が人を楽しませる要素よりも大きな利益を生むことに気付いてしまったのだ。
ここで利益を得るための手段が人を楽しませるという事から、ユーザを集めて彼らにゲームを止めさせない事に切り替わった。


そして不幸なことに、この2つの要素はまったくベクトルが重ならないものなのだ。
より多くの人を楽しませ満足させるということは、同時に他人よりも自分が優れていることを誇示する機会を奪う事だ。そして、満足した人はその場を去ってしまうだろう。これは、人を楽しませるためのゲームバランス調整とユーザを引き止めるためのゲームバランスの差として現れる。多くの場合、後者を優先したゲームバランスは、人を楽しませるためのゲームバランスとして見た場合には劣っているものになるのだ。


企業というのは利益を優先するものであって、楽しいゲームを作るか、利益が得られるゲームを作るかという選択肢を与えられれば、当然後者が選ばれる。
かくして、世の中には利益を追求するためのシステムとしてのMMORPGが溢れることになったわけだ。