http://builder.japan.zdnet.com/member/u516876/blog/2008/12/12/entry_27018638/?ref=rss
むしろ最近の言語から入った人にとっては、むしろ「goto文って何?それって便利なの?」だと思う。
そのとき、最初にプログラミングを教えてくれたマスターヨーダに言われたことがある。
それは、
マスターヨーダ 「”goto”を使うな!」
私はN88-BASICから入ったクチなんでほぼgotoジャンプのみで動いてるプログラムのイメージが分からんでもないけど、いきなり構造化プログラミングのパラダイムに触れた人はgoto命令を使ってもブロック構造の代用にしか使わないんじゃなかろうか。
finallyが広まる前は、まだgotoで後始末処理にふっ飛ばしたくなる時があったけどもはやその用途でも必要無いし。
あー、でもたまに"break block"的な命令(ブロックの終わりまでジャンプするという命令。goto文を使えば実現できる)を使いたくなることはある。あれは「その部分を別プロシージャに分割せよ」というサインなんだろうか。
で、出来ないことはないけど気持ち悪すぎるし。
do {
:
:
if (x) break;
:
} while(false);