現象判断のパラドックス

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8F%BE%E8%B1%A1%E5%88%A4%E6%96%AD%E3%81%AE%E3%83%91%E3%83%A9%E3%83%89%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9
wikipediaに興味深い哲学話があったが、異様に判りづらい文章だったので自分なりに整理した。なんで哲学はあんなに文章が長いんだ。細かく分けて書けばいいのに。

現象判断のパラドックスとは

以下の前提が真実だと仮定する。
・現象意識やクオリアは物理的に存在しないものである
・体や脳は物理的に存在するものである
・物理的な存在は、物理的に存在しないものから影響を受けない(物理領域は因果的に閉じている)

そうすると、以下のような考えが導き出される。
・現象意識やクオリアは、体や脳は物理的存在に影響を与えない。

つまり「現象意識が判断し、その判断にもとづいて物理的に行動する」という事は起こりえないことになる。しかし我々はそれが真実であるかのように感じている。
この矛盾が、「現象判断のパラドックス」である。

現象判断のパラドックスの立ち位置

現象判断のパラドックスは、唯物論に対する反論である「哲学的ゾンビ」と互いに対になって語られる。二元論(体と魂が別々にある)的立場を疑わしくする主張として「現象判断のパラドックス」の話があり、唯物論敵立場を疑わしくする主張として「哲学的ゾンビ」があるというわけである。
参照:哲学的ゾンビ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%93%B2%E5%AD%A6%E7%9A%84%E3%82%BE%E3%83%B3%E3%83%93

パラドックスを回避するための、幾つかの解答

・ゆえにクオリアに対して二元論を取ることはできない
脳と物理的に相互作用しないモノについては、そもそも語る事も気づく事もできない。つまり我々が現象意識やクオリアに気付いているということは、現象意識やクオリアは物質的な存在であり、それらが非物質的なものだという立場は間違っている。
(物理主義)

・このジレンマを解決することはできない
これは、意識の問題が我々の論理では解けないことを示している。
(新神秘主義

・自然の基本的な構造の現れである
脳は現象的意識と相互作用しているのではなく、非物質的な現象意識の受信装置である。そう考えれば現象意識やクオリアが我々の行動に影響を与えるという主張には、なんの問題もなくなる。
自然主義的二元論)

・物理領域は因果的に閉じていない
物理領域は因果的に閉じているという考えは間違いである。つまり物質は非物質的なものの影響を受け、その逆もありうる。考えれば現象意識やクオリアが我々の行動に影響を与えるという主張には、なんの問題もなくなる。
(相互作用二元論)

派閥チャート

現象判断のパラドックスと哲学的ゾンビは両立しないよ派
 ├─ 確かにパラドックスだよ派
 |   └─ そのまま受け入れるしかないよ派(新神秘主義)
 └─ 前提が間違っているから、実は両立するよ派
     ├─ 自我やクオリアも実は物質的な存在だよ派(物理主義)
     ├─ 脳は自我の受信装置だよ派(自然主義的二元論)
     └─ 物質的な因果は実は閉じていないよ派(相互作用二元論)
         └─ 閉鎖性は量子力学の領域で破れるよ派(量子脳理論)