視聴。あとはネタバレ。
基本的には新劇場版:Qの終了時点から直接ストーリーの続きを描いて新劇場版の物語を完結させる作品。
旧劇ではゼーレの人類補完計画を利用して碇ユイとの再会を果たそうとしていたゲンドウだが、新劇ではそこを飛び越えて神の座的なものを手にし世界を再構築することで碇ユイとの再会を果たそうとしていたというのが基本的なストーリーラインだと思う。作中では「神の座」という単語が出てくるわけではなく、単語的には人類補完計画ということになっていたが実質これは世界を好き勝手に書き換えられる神の座だと思う。
まあそれもコードギアスや進撃の巨人などで既に描かれてしまっていて、特別目新しい展開ではなくなってしまっているわけだが。
ゲンドウとそれを追ったシンジが「神の座」に到達した時点で、もはや世界は意思ひとつで好きにできるので夢オチ的に何でもありの状態になってしまい、そっから先もこの展開は「神の座」でシンジが自身に見せている幻想なのでは……?という不安を感じさせる演出がある。
ただしそこで「新世紀エヴァンゲリオン」というコンテンツの総決算をするならここしかねえ!とばかりにTV版から旧劇から新劇まで色々なシーンを入れてエヴァの結論的シーンをぶち込んできているのは良かった。
そこはエヴァの総決算としてはそうならざるを得ないわなあという部分と、作品としての正しさよりも庵野監督のエゴで入ってそうな部分が入り混じってねじれているように思えた。
特にゲンドウが若い頃の話をぶちこむ必要はなかった。だいだい判ってたことだし、わざわざ孤独でも大丈夫だった人が誰かを好きになってしまったことでその人を失った後で孤独に耐えられなくなる話というありがちストーリーを今更語られてもなあ、という感想。
ただ基本ストーリーラインはそうだったとしても、真希波マリというキャラクターが最後まで見ても立ち位置すらよくわからなかった。漫画版でも少し描かれたがゲンドウの大学時代からあの年齢で存在しており、エヴァパイロットで、作中でシンジと大した接点があるわけでもない(シン・エヴァまでシンジはマリの名前すら知らない)のに最終的なシンジの恋人ポジション。どう理解すりゃええんや……。
総評としては「寝かせすぎた上質なワイン」。決して面白くなかったわけではないんだが、期待を上げすぎたこととTV版から25年間のコンテンツ進化に追いついていない(追いつかせると「エヴァ」ではなく別物になってしまう)ことで、無条件に満点とは言えない作品になっていると思う。
とは言えエヴァンゲリオンというアニメ史の一大潮流の締めくくりとして、納得できる作品ではあったと思う。
神の座は人類には直接理解できないので、過去の光景などを組み合わせてそれを理解できる形の情景にしているという話は、スタートレックのQ連続体っぽいなと思った。
神の座での第3新東京市のバトルシーンで、ビル倒壊がオモチャっぽい動きだなと違和感を感じさせておいてからの、「背景」が作り物だと明かす演出は見事。
なぜかアスカがワンダースワンのGUNPEY(グンペイ)で遊んでるシーンが象徴的に描かれていた。
エロゲーで言うと完全な解き明かしがされる「トゥルーエンドルート」ではなく、終盤まではトゥルーエンドと共通のストーリーだがフラグ立て失敗のため「真希波マリルート」に分岐してしまったという印象。
第三村イベント時に好感度が足りていればアヤナミレイ(仮称)が形象崩壊せずに「綾波ルート」に入れる……とかもありそう。