https://bookstand.webdoku.jp/news/textview/2020/07/09/080039.html
アンチノミーは「二律背反」を意味するドイツ語。
日本語でこの単語を使う場合は、2つの命題が成立している矛盾した状態を指す哲学用語として使われることが多い。
単純な例として「何者をも突き通す矛と、何者をも突き通さない盾」「この文章は偽である」などがアンチノミー。
カント哲学では、「テーゼ=定立命題」と「アンチテーゼ=反定立命題」が両者ともに偽であることでアンチノミーが成立することを証明し、人間の理論理性においては思考することができない事柄が存在するとした。
カント哲学では以下のような主張がされる。
テーゼ「時間には始まりがある」
しかし、もし時間に始まりがあるとすれば、そこから時間が発生した「空の時間」があったはずだ。
「空の時間」には時間が無いので変化が起こらず、そこから時間がある状態への変化は起こらない。
よってテーゼは否定される。
アンチテーゼ「時間には始まりがない」
しかし、もし時間には始まりがないとすれば、現在までに無限の時間が過ぎ去ったことになる。
だが「無限が過ぎ去って」しまう、ということは矛盾である。
よってアンチテーゼは否定される。
こっちは議論の余地がある気がする。ある数を+1するという手順を「無限に過ぎ去って」いないと"42"という数に到達できないはずだが42という整数は扱える数として存在する。
自然数に対応する過去が存在していれば、自然数がすべて実在していることになるのでそれは間違っているという主張もあるが、それは「もし時間には始まりがないとすれば」という前提を覆している。その場合に自然数がすべて実在していることで生まれる論理的問題はないように思える。