スティーヴン・ウェッブ「広い宇宙に地球人しか見当たらない50の理由」

読了。
これは素晴らしい良書。宇宙人はなぜ見つからないという誰もが一度は思う疑問と、その50通りの答えから宇宙と生命と文明についての興味深いレクチャーをしてくれる。
宇宙と生命の謎を追求するアストロバイオロジーが、ジャンル的には非常に近いのではないかと思う。


この本で扱われている宇宙には何故地球人しか見当たらないのか?という疑問、つまり「フェルミパラドックス」の骨子は2つあると思う。
まず、銀河系は広いので恒星間を越えて移住を重ねることが出来るほど進んだ宇宙人が一種類くらいは居るはずだという仮定(例えば超新星の起こりそうな恒星の近くで知的生命体が生まれれば、我々のように片手間で宇宙開発をするのではなく、それこそ種族の存亡をかけて恒星間の移住に勤しむだろう)。そして、銀河系は宇宙の時間スケールから見ると案外狭い(「たったの」10万光年だ)ので、恒星間を越えて移住をする存在が居れば、その子孫はとっくに銀河中に広がっていることになるという仮定だ。
この2つはいかにも正しそうだが、それが正しいとすると宇宙人の来訪や、その通信が聞こえてこないのはおかしい、というのが「フェルミパラドックス」である。


この50の解答の中でも、特に印象に残ったのは「解28 特異点に達する」だ。
これはなかなか痛快な予想で、知的生命体の技術力は加速度的に進歩するために、必然的に我々が観測できる枠組みを遥かに超えた存在になってしまう、というものだ。
この解の前で語られる幾つかの解は知性生物は必ず滅亡してしまうという解であっただけに、全く逆の理由で宇宙人が見つからないというこの説はとても面白い説に感じられた。予想としてそれが地球でも100年以内に起こる可能性があるという、指数的な成長が示す直感とは異なった予想がまた面白い。
知的生命体が必ず滅亡してしまうという話には、それを避ける知性を持ってる知性だってあるはずだ、という反論が成立するが、その知性の発達自体が知的生命体を我々の目から見えないようにしてしまう、という話にはそれが成り立ちにくい。少なくとも我々の例を見る限り、核戦争のような滅亡を避けて来たことはあっても、科学文明が退行してしまったことは無いのだ。技術の進歩がなんらかの原因で適切なスピードを維持し続けるという根拠を一つも持っていないことが、地球人は宇宙人と出会うことができない理由になっているなんて最高に皮肉でいて、夢を感じさせるな予想なんじゃないだろうか。
ま、ここからは単なる妄想のヨタバナシなんだけど、我々が特異点の向こう側に到達した時には
「先に達した先駆者たち」がみんなでおめでとう、と言ってくれるかもしれないというのも、
ビジョンとして将来に期待を持てる素敵な予想だ。
ちなみにこの「特異点」(あるSFでは『昇天』という表現もされていた)という単語、SF小説のネタとしては知っていたが、それが何故宇宙人が見つからないかの解答として使われるとは思わなかった。


フェルミパラドックスを語る上で大きな問題点は、生命は…そして知性は特別な存在ではないという仮定があるのに地球以外には生命が見つかっていないことだ。これでは地球がどのくらい普遍的な存在なのか全く予想がつかない。
せいぜい、我々が平均である確率が高いから我々は平均的な存在だと思おう、という程度である。
そう、我々は「地球」というたった一つの例しか知らないのだ。これで確率の予想を立てろと言われても答えが見つからないのは無理も無い話だとは思わないか?
また、これは時間軸上にも適用できる考えである。また我々が使えるサンプルが地球だけにしても、過去の地球に高度な科学文明が存在していた徴候がない。前の知性がよほど綺麗好きだったので無い限り、人類は生命が何十億年も繁栄してきたなかで唯一科学文明を発達させた存在だということになる。
これは何故だろう?これだけ時間が掛かるのは必然なのか、地球は信じられないような不運でこれまで奇跡的に科学文明をもつ生き物が生まれて来ていなかったのか。なんにしても、過去に栄華を誇った人類以外の種族による長古代文明が(何度も)発生していたなら、フェルミパラドックスもかなり違った予想を立てざるを得ないことになっていたであろう。