言語ゲーム

http://kotobank.jp/word/%E8%A8%80%E8%AA%9E%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0
特定の単語の意味セットが利用される人間の活動のこと。
哲学者ウイトゲンシュタインの提唱した概念。



単語はどの話題の中で出てきたかで意味が変わる。極端な例だが、たとえば以下のようなものがある。
・映画等の作品評価の話題における"叩く"は、強烈に批判することである。
システム開発の話題における"叩く"は、システムに何か指示を入力して反応を見ることである。
特定の話題にはその話題でしか通じない単語の使い方があることを、特定のゲームにはそのゲームでしか通じないルールがあることに喩えた表現である。

言葉というものは、それがどの言語ゲームで使われるかによって異なる意味を持つことがある。
ここで言う「言葉」は非常に広義なもので、他人に意図と伝えようとする行為であればなんでも上記のことが言える。

このような概念が生まれた背景として、ウイトゲンシュタインの時代の哲学では、単語にはあらゆる状況で通じる固定的な意味があるという考え方が主流だったことがある。

哲学者グライスが、ある文脈でたまたま持った意味については言語ゲームでは扱いきれないと指摘している。(?)

ただ、のちにグライスという哲学者に指摘された通り、
ウィトゲンシュタインのアイデアでは言語表現がそれ自体で常に持つ内容と、ある文脈でたまたま持った内容とを区別できないという欠点があるため、
そのままの仕方で採用するのはあまりよくないようにも思えます。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1176524146;_ylt=A2RAEEDUquhSmUAA00JoAPR7?fr=rcmd_chie_detail



でもねー、いまひとつこれは違う気がする。
http://anond.hatelabo.jp/20130722013200

後期ヴィトゲンシュタインは、言葉に静的な定義はないとした。
前期ヴィトゲンシュタインが主張した「先に定義を完璧にすれば」云々というのは、
その前提となる言語観から間違っていたということになる。
言葉の「使用」が先にあって、意味やルールはあとから付いてくるものである。
言葉の意味とは「言葉がどのように用いられているか」ということに過ぎないという論を唱えた。
この動的な言語観や、それに基づく汎用性の高い動的なシステム論を「言語ゲーム論」という。

こうなのだろうか。