普遍論争

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%AE%E9%81%8D%E8%AB%96%E4%BA%89
中世において行われていた「普遍概念は実在するか」という論争。
以下で普遍概念とは何かと、それと対比される「個物」の説明をする。

個物

中世において自明的に存在すると考えられた個別的なもの。
(現代から考えると「個物」の実在にも疑いの余地はあるが、これは中世の議論なのでそれには言及しない)
例:ミケーレ氏、犬のフェリス、ミケーレ氏の邸内に生えている柏の大樹。

普遍概念

ある個物が、人間なら人間、犬なら犬であるために持っている性質のこと。
単に普遍とも言う。イデアに近い意味の単語。
例:「人間の形相」「犬の形相」「柏の樹の形相」。



普遍概念については2つの立場がある。それは以下である。

唯名論

普遍概念は実在しないとする考え。
実在するのは個物だけであるとする。
「普遍概念」は複数の個物をまとめて呼ぶための概念であり、「普遍概念」という何かが存在するわけではない。

実念論(実存論とも言う)

普遍概念が単独で実在するとするという考え。
「何ものかが明らかでない基体存在物」に「人間の形相」が加わって「個物としての人間」になっていると考え方をする。



実念論はわけがわからない考え方だが、どうもこれは聖書の記述を正しいとするために捻りだされた考え方のようだ。
聖書では人類全体がアダムによって堕落しキリストに救済される。
これを成立させるためには、アダムによって人間の普遍概念が汚されて、キリストによって普遍概念が浄化されたという考え方をしなければならないからである。
(アダムだけの話なら「罪は遺伝する」でも説明できるが、キリストが全人類を救済するには、人類すべてが共有している根幹部品のような存在があってキリストがそれを修正したという考え方をしなければいけない)