シミュレーション仮説へのもやもや

http://michiaki.hatenablog.com/entry/2017/10/03/%E3%82%B7%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3%E4%BB%AE%E8%AA%AC%E3%82%92%E3%82%81%E3%81%A3%E3%81%A1%E3%82%83%E9%9B%91%E3%81%AB%E7%90%86%E8%A7%A3%E3%81%97%E3%81%9F%E3%81%84
この話題を耳にする時に思うことがあります。
シミュレーションを実行している《親宇宙》と、そこで実行されている《子宇宙》があったとしましょう。

《親宇宙》では《子宇宙》の状態を導き出す計算をしているわけですが、それは《子宇宙》の状態を「掘り出している」だけであり、《子宇宙》の状態を「創っている」わけではない、と思うんですよね。
(別に計算を行わなくても「答え」が存在しないわけではないので)

であれば《子宇宙》というのは、別にシミュレーションされなければ存在しない偽物の世界ではなく、たまたま《親宇宙》によって掘り出されて観測されている世界というだけの話になります。

当然、《親宇宙》がシミュレーションを実行していようが実行していまいが、《子宇宙》は存在しますし存続し続けます。
別の《親宇宙》がシミュレーションの電源を落としたらからといって《子宇宙》がフッと消えてしまうわけじゃないんです。

そう考えると「世界は実はシミュレーションに過ぎないのではないか?」という問いはほとんど何の意味も持たない問いということになると思うのです。