日日日-アキラ「ちーちゃんは悠久の向こう」

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荒削りだけど、心を打ち鳴らす、とにかく人の心を無理にでも動かすという意味で、ひとを感動させる力に溢れた作品。
本当に、「小説」としては完全に失格だと言っていい作りだと思う。突然、前の場面からどうやって移ったのか説明なく次の場面へ行ってしまうし、伏線なんかぜんぜん無しで話しは急展開するし、同じ人物でも口調が全然一定していなくて作者のそのときの感情がそのまま書かれているし。
だけどそんなものに関係なく、それでも人の心を動かす力がこの本の活字には宿っていた。


いわゆる、人が「壊れる」系の話しなので、そういったのに私が弱い、ということが大きく影響しているのだとは思う。そして、私が「悠久の向こう」とは言わないまでも世界の見え方が違う位置まで歩いていってしまったら、この本からこれだけの感動は得られなくなると思う。
ふと思ったのだけれども、かつての夏目漱石もこんな感覚を読者に与えていた作家だったのではないだろうか。我輩は猫である、とかまさにそんな感じがする。
正確には、かつてそう感じられたのではないかという残り香が。


「高校在学中に新人賞を五つ同時受賞」しただけはある。
他の作品は知らないが、ネットで軽く調べてみたところ、人間の嫌悪感を逆に活用して怖いもの見たさの原理でもって人を惹きつけるという書き手のようだ。
読んでみたいところである。


こうしてつらつらと、日日日氏がどういう書き手なのかを表現してみようとしたが、
ちーちゃんは悠久の向こう」の巻末の解説が秀逸である。さすが書くのが本職。曰く、


そういう意味では日日日はまったく「ライト」ではなく、まして「ライトノベル」の書き手ではない。
たまさか年齢が若いだけ、あるいは、発表舞台として親しみの持てるところを選んだだけで、
本来はどっちかと言うとむしろ「ぶんがく」のほうのヤツなんではないだろうか。

解説さんも言っているが、乙一氏とどことなく似ている。
ただ、乙一氏は緻密に計算されたデビュー作からだんだんと自分の持ち味を出していったのに対して、日日日氏は最初から自分色全開である。