受動意識仮説

http://d.hatena.ne.jp/aidiary/20071121/1195647311
自由意志をもった意識なんて存在しない、という趣旨の脳科学の仮説。
「脳の中の「私」はなぜ見つからないのか?」の書評でも同じようなことが書いてあった。
うーん、ここまで踏み込んだ世界になると既に「心」とは何かという定義問題だという気がする。受動意識仮説は「意識」とは、


「意識」はすべてを決定する主体的な存在ではなく、脳の中で無意識に行われた自律分散演算の結果を、
川の下流で見ているかのように、受動的に受け入れ、自分がやったことと解釈し、
エピソード記憶とするためのささやかで無知な存在。
と定義している。
だけど、「脳の中で自動的に行われる自律分散演算」も「私」の機能の1つだと考えると、
「私」という存在全体は能動的な活動をするものだということになる。
結局のところエピソード記憶を保存する「意識」だって脳内の自動機械に過ぎないのだから自律分散演算をする自動機械と明確に区別する必要はあるのだろうか。

まあ、そのあたりは脳科学というか哲学の分野の話だという気がするけれど、エピソード記憶をする機能というものが独立して存在するって事実はとても面白いと思う。