http://blogs.dion.ne.jp/arere/archives/2744887.html
主な主張は
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ゲームというのは、面白ければ面白いほど売れ行きが良くなるのではなく、恐らく大多数のユーザーが満足してしまう「面白さ」のレベルがあって、ぶんそれ以上面白くなっても、コアユーザーは喜ぶけれど、実は大多数のユーザーには、そもそもその面白さの違いすら認識できないのではないか<<ということ。
ゲーマーの目から見ると、なかなか出てこない結論である。
確かに、ゲームを知らない一般人からすれば、ある程度の面白さであればそれで満足だろうし、「非常に面白い」というゲームはその面白さを引き出すためにプレイヤーの努力を必要とする傾向があることも否定できない。
普段小説を読まないような人に「リアル鬼ごっこ」が売れたように、ゲーマーが思っているほどゲームに(そしてエンターテイメント全体に)求められているクオリティは高くないのではないだろうか。
結局売るという点から評価した場合は、(それを理解できる人が少ない)面白さを上げるためのコストよりも、ある程度の面白さを確保したらあとは宣伝にコストを当てた方がよいという点が存在し、そのボーダーラインはマニアが思うよりかなり低いところにあるということなのだろう。
……スクウェアエニックスなんかは、既にこれを理解していて「面白さ」を上げる努力に見切りをつけて映像で勝負してるのだろうか。だとすれば、ゲーマー視点からは納得できないが、経営という面から見ると確かに正解を選んでいると言える。
確かに純粋に売上を伸ばすためにはあるジャンルのマニアを狙うのではなく、面白さをある程度確保したあとは、宣伝に力を割りあてて、ライトユーザを狙ったほうがよいのだろう。しかし、こうも思うのだ。そうやって作られたものを見て「自分もこんなものを作りたい」と思ってくれるような人が出てくるのか、と。
短期的な経営の観点から見ればとても面白いゲームは必要ない。しかし、文化的な面から見れば、やはりとても面白いゲームは次世代の文化を担う者を育てるために必要なのではないだろうか。