小川一水「老ヴォール惑星」 感想

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[sf][国内作品]
やはり、小川一水は良い。素直にそういった感想を感じられる本だ。
この本は短編集の形で出版されている。その中の1作が表題作「老ヴォール惑星」というわけだ。
この短編集、「パラダイムが時とともに変わっていく」という主題をもって選ばれた作品が収録されているように感じる。収録されている4作についてそれぞれ考えてみると、SFと呼ぶよりミステリにカテゴライズされる「ギャルナフカの迷宮」と、SF的設定で設定で興味をかきたてて登場人物の心理の変化を主題として描く「漂った男」では人間の人生というスパンでの、世界の在り方の変化を描く。「幸せになる箱庭」ではSFでよく使われるハッと気づくような形でのパラダイムシフトを、「老ヴォール惑星」では種族全体というスパンでだ。
また、「老ヴォール惑星」を除いた3作はいずれも人間の生の心を余すところ無く描き出している。
「老ヴォール惑星」は、非人類の異種族が物語の主眼となるので、仕方ないと言うところだろうか。
はっきり言って、著者はアーサー・C・クラーク小松左京のように、歴史に名を残すSF作家となるであろう人物だ。本当に同じ時代に、この作家の作品を読めると言うことは幸せなことだと思う。
以下ネタバレ。
「老ヴォール惑星」では、生物は全て自然発生するという環境で生まれた生命について描くのだが
自然発生のみでは、あのような知性体ははたして生まれるのだろうか。進化という現象には自然淘汰による個体の選別と、自己増殖による優秀な個体の増加が必要なのだ。
自分なりに考えてみたところでは、ヴォールの惑星で発生した生命というのは、単なる安定した泡や渦巻きのような自然現象に過ぎなかったのではないかと思う。そして、その泡だか渦巻きだかは当然自然発生しているだけだから進化せず、知性も持たない。
ここで進化し知性を持つようになったのは、実際にはその自然現象をハードウェアとして走るプログラムだったのではないだろうか。プログラムは、自らのハードウェアの形を長く生存できる形に整え、できるだけ自分の一部を他者にコピーしようとしていく。その結果、高度に進化したプログラムが自然現象を種として自らの体を組み立てるというような生命形態を持ったのが、ヴォールの惑星の生命ではないだろうか。