中国語の部屋の主張は成立しない理由

中国語の部屋は以下の様な主張をする。
1. 中国語の部屋クオリアを持っていると直感させる機能を持つ
2. 中国語の部屋クオリアを持たない仕組みで動作する
3. よってクオリアを持っていると直感させる機能を持っているものが、実際にクオリアを持たないことはありうる
しかし、これは成立しない。その理由は以下である。



クオリアを持たないと直感させる仕組みであるかどうかに関わらず、他者が本当にクオリアを持つかどうかは判別できない。
よって中国語の部屋がどれほど強くクオリアを持たないと直感させる仕組みで動作していようが、2の主張は成立せず、それを前提とする3の主張も成立しない。
クオリアを持っていると直感させる機能を持っているものが、クオリアを持たないと直感させる仕組みで動いていることはありうる」は成立するが、その意見は心身問題を語る上で何の役にも立たない。

これはクオリアがそのように定義されたものなので、どのような立場から見ても判別できない。
"全知"の神であれば他者がクオリアを持つかどうかを判別できるはずだと思えるかもしれないが、それも無理である。
「自我からしか観測できないという定義であるクオリアを、自我以外から観測できる"全知"という能力がある」という命題は偽であり、"全知"という能力を持った神は論理破綻しない限り存在しえない。