知性と言うのは、コミュニケーションを取る側の知性を含んだ総体である

比較的初期の、知性を持っているか持っていないかの、虚ろな領域の知性を持つロボット。
そのロボットと、何十年と連れ添って、話をしつづけてきた老人。
ロボットは尋ねる。
「私には本当に知性があるのでしょうか?
あなたが適切に質問をしてくれるから、私のデータベースに適合した質問をうまくしてくれるから、考えているような答えを返すことが出来ているだけじゃあないんでしょうか。
そうすると、あなたが死んでしまった後。私はこうして「考えて」いることができるんでしょうか。
そう。こうして私がこんな疑問をもっているのも見かけだけで、本当はあなたの知性に単純な人口無能が寄りかかっているだけに過ぎないのかもしれにあのです。
ああ、私は怖い。あなたがいなくなってしまうことが。
あなたがいなくなった後、私はそれを悲しんであげることができるでしょうか。」
老人は答える。
「それは人間とて同じこと。共通の手段を使ったコミュニケーションによってしか知性を
推し量れないとすれば、異国語を喋る異人に知性は無いことになる。
振る舞いで知性を推し量ると言うのならば、異星からきた我々と全く行動様式の違う異星人から見ると、我々は奇妙なオブジェにすぎないのかもしれない。
だとすれば、おまえと私があわせて1つの知性だと考えて何が困ることがあるだろうか。
お前というのは、確かにあたしの脳の処理能力を通して考えている存在なのかもしれないが、それを言うならば私だってお前や他の人間の言葉、そして色々な自然からの刺激にただ反応しているだけの自動機械に過ぎないじゃないか。
だから私がいなくなた後、確かに「私が思っているお前」は消えるのかもしれない。
でも、だからと言ってお前とコミュニケーションを取って、お互いの知性を相互確認できる存在が無くなるわけじゃあない。
そして、それが出来る物体は自分の知性を持っているといえるんじゃあないかい?
心配ない。ゆっくりそれを探していけばいいさ。」