キリストの復活について

なんか「キリストの復活」エピソードを福音書で何度も読むんで思ったのだが、復活したキリストに出会った人がとても少ない、出会った人が最初はそれがキリストだと気づかなかった、その後キリストが生活を続けていかない、など不自然なことが多い。キリストの復活という奇跡を演出したい人が、彼の死体を隠してからキリストに変装して「復活してどこかに去った」ふりをしたと考えるとこれらが自然に説明できる気がするんだがどうだろう。
そう考えると磔刑で出来た風穴に指を通させて「ほーら、本当にあのときの傷があるだろう」とやっているエピソードもなんか奇術の演出っぽい。