ゲームにはBGMというものがある。しかし、この音楽は単にまをもたせるためや味気なさを隠すためだけでかんじさせないようにするためだけのもんでは決して無い、という主張をしてみたい。
それを意識して使っているかどうかにはわからないが、ゲームやその他のメディアでよく感じるのが感情は直列つなぎによって動いている、という事だ。
かんじょうというものは、どうやら何かで感動したこときに同時に違うことをやっていれば、その違うことでの感動もプラスして感じるものらしいのだ。というか、少なくとも私は層だ。
というわけで、BGMである。これは音楽単体で聞いても涙が出ちゃう系tの音楽と泣ける話をあわせることで凄く泣ける話を作る、という系統の使い方が出来る。
しかしそこで大きな問題が持ち上がる。インタラクティブなメディアの場合にはプレイヤーの操作が入る。捜査が入ると言うことは、それぞれの人間によって別のタイミングで「ある場面」に到達するということなのだ。
そこでかんBGMによる盛り上がりというものをここにぴったりあわせることが非常に難しくなるのだ。
この解決策として、プレイヤーの平均進行速度を計算してオン悪を置くだとか、そもそも音wで感情の直列パワーを使うのは、ゼッタイにずれないように操作に制約をかけて時間軸にを固定してしまうとか、出だしのみなどゼッタイに合うタイミングのところでしかそういう効果を期待しないだとかの方法がある。
そして、2番目に言った方法を振るに活用できるのがシューティングゲームだ。
ちなみに西洋のゲームではこうした方法論は全くといっていいほど使われいないように感じる。音といっても、本当にバックグラウンドの臨場感を上げるためにしか使っていないと言う場合が多いのだ。
映画であれほど巧い対見ぬ具の撮り方をするエンターテイメントの殿堂アメリカししてはこれは謎ナ事だと言えよう。