物質転送機で自分をテレポートさせたとき、転送先の自分は「私」か?

哲学ではよく、自我は特別のものなので唯物論などでは説明できないと考える人が居る。

自我が特別のものである根拠として彼等がよく使う例は「物質転送機」だ。仮に私をA地点からB地点に物体を完全な形で移動させることが出来る物質転送機で移動させたとして、転送先には(私のコピーである精神は表れるが)「この私(自我)」は消えてしまう。つまり、
「私の体」は移動したのに「この私」は消えてしまうということは、「この私」は
物質を超えた存在なのであるというわけだ。

しかしこれは転送対象を認識するときに、内容同一性と参照同一性を混同して使っていることが原因で生まれている混乱であって、不思議でも何でもないことだと思う。転送されたものが自我であろうが体であろうが、「内容が同じか」で判定すれば転送物は移動しているし、
「参照が同じか」で判定すれば(転送先にコピーが出来ているが)転送元は消えている。

上で述べた「私の体」は移動したのに「この私」は消えてしまうという結果を考えてみると、実は転送元と転送先の「体」が同一であるかを内容同一性で判断し、「この私」が同一であるかを参照同一性で判断していることが分かる。ここで「この私」と「私の体」に対して異なる判定方法を用いねばなければならない理由は何も無いため、この結果は誤っていると言えるだろう。

結局、「この私」と「私の体」に同じ判定方法を用いれば、両者のうち片方だけが消えて片方だけが移動するなどという結論は出ない。よって、この物質転送機の例は
「この私」が物質を超えた存在であることなど全然示していない、というのが
結論として出てくるわけである。


ただしどこかから自我を遠隔操作している「魂」のような存在を仮定するなら、この話は成立しない。(魂は転送されないかもしれないから)



プログラムやってる人なら以下の例で説明すると、判ってもらえると思う。

String 転送元 = new String("Aさん");
String 転送先 = null;

転送先 = new String(転送元); //物質転送開始

//内容同一性で判定:「Aさん」は、転送先に存在するか?
bool result2 = ("Aさん".equals(転送先)); // →true:存在する

//参照同一性で判定:「転送元」は、転送先に存在するか?
bool result1 = (転送元 == 転送先); // →false:存在しない

delete 転送元; //物質転送終了